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第5章 弥生時代の社会

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2.祭祀と世界観

暦の祭祀の出現(太陽神)

農耕を中心とした生活サイクルは、作物を稔りに不可欠な太陽の恵みにたいする信仰を増大させていったと考えられます。太陽に対する信仰は縄文時代から存在したと思われますが、身分階層が出現し「王」や「女王」の支配力が「祖霊」信仰のもとに神聖性を付加されてくるようになると、それはさらに特別な意味を持つようになったと想像できます。
太陽の運行に密接に関係する夏至、冬至、春分、秋分などの二十四節気などの歳時的情報と農耕儀礼を整合させ、それにあわせて「王」や「女王」などの特別な身分の人が、社会的な代表者として五穀の豊穣を祈る暦の祭祀の出現です。

夏至や冬至を特別な日として祭祀を行なう風習は古来から世界各地に存在します。縄文時代の環状列石(ストーンサークル)遺跡である秋田県の大湯環状列石では、二箇所の環状列石の中に立つ「日時計」と呼ばれる立石と環状列石を結んだ線が、夏至の太陽の日没線と一致することが指摘されています。おそらく日本列島でも、縄文時代から夏至や冬至を特別な日とする観念が存在したと思われます。
こうした古代からの風習を、支配者に特別な神聖を付加する祭祀儀礼とした例が先にもあげた大嘗祭です。
新天皇が天皇霊を継承して即位する大嘗祭は、旧暦の冬至の頃に行なわれます。これに「日神の死」と「日の御子の再生」を象徴する太陽信仰的要素が見られることは、多くの民俗学研究者が指摘するところです。『古事記』『日本書紀』には、正月をもって新天皇が即位する正月即位の記述が多く、即位と暦の刷新を整合させていたことがうかがわれます。

弥生時代のクニグニが交流していた古代中国でも、冬至の日に皇帝が都の南郊にある天壇に赴き壇上で祈る冬至祭天や、夏至の日に北郊の方壇で祈る夏至の地祀が行なわれていました。
吉野ヶ里遺跡の北内郭はその中軸線が夏至の日出、冬至の日入と一致します。主祭殿の中軸線は北墳丘墓と南祭壇を結んだ線と一致することが確認されています。祖霊の象徴である北墳丘墓と、太陽の運行に関連する夏至と冬至の線が交わる北内郭は、太陽の運行と祖霊の力により、支配者の神聖を強化しようとする大嘗祭のような祭りの萌芽が弥生時代に誕生してきたことを思わせます。

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