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第四章 弥生時代の生活

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1.住まいと建築

図:弥生時代の建物

弥生時代の建物

弥生時代の代表的な建築は地面を掘り窪めてつくる竪穴建物、地面に柱を建てて地上に建物をつくる掘立柱建物です。掘立柱建物は床をつくる高床建物と床はつくらず土間とする平地式建物に分かれます。遺跡から出土する掘立柱建物のうち、柱穴が大きく深いものを高床建物、比較的柱穴が小さく浅いものを平地式建物に分類しています。 このうち、竪穴建物は主に住居に、高床建物は主に倉庫に使われました。平地式建物は数は多くありませんが、やはり倉庫などに利用されたと考えられます。

住居や倉庫の他に、吉野ヶ里遺跡の北内郭の主祭殿のように祭祀的な性格を備えた大規模な建物も地域の中心的な集落には存在しました。こうした祭祀的な建物は、遺跡からその遺構が発見される他、土器にその姿が描かれています。
鳥取県稲吉角田遺跡出土の土器には太陽、船に乗ったシャーマン、鹿、銅鐸のようなものが吊り下げられた木などとともに、高い柱を持つ物見櫓のような建物とやはり高さのある倉のような建物が描かれています。奈良県の唐古・鍵遺跡出土の土器には重層の建物が描かれていました。こうした土器の絵から、弥生時代には高さのある建物が神聖であるという観念が存在したと推定できます。

写真:吉野ヶ里遺跡の北内郭の主祭殿

吉野ヶ里遺跡の北内郭の主祭殿

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吉野ヶ里遺跡の主祭殿は柱配置から重層の楼のような建物であることが推定されました。これにより、唐古・鍵遺跡出土の土器に描かれているような重層の建物が、弥生時代に実在したことが明らかになりました。吉野ヶ里遺跡の物見櫓や主祭殿の復元は、弥生時代の建築物の構造についても、再考を促す機会となりました。当時の建物は頑丈な縄で木材と木材を縛ったり、柱や梁を加工して組み合わせるのが基本だと考えられてきました。しかし、吉野ヶ里の物見櫓は柱と柱の間が大きくしかも高さがあるため、柱と柱をしっかりと繋がないと不安定な建物になってしまいます。

写真:鳥取県米子市の稲吉角田遺跡出土の建物が描かれた土器

鳥取県米子市の稲吉角田遺跡出土の建物が描かれた土器

そこで、柱の中心に穴をあけてそこに横木を通して柱と柱を繋ぐ「貫」という建築技術が使われたのではないかと推定されました。「貫」技術が日本に広まったのは鎌倉時代からというのが通説でしたが、島根県上小紋遺跡から出土した柱材は中心に穴が穿たれており、「貫」の技術が弥生時代に既に存在したことを窺わせています。
これら近年の調査・研究成果により、弥生時代の建築技術は従来考えられていたより高度であったことが明らかになりつつあります。

写真:唐古・鍵遺跡(奈良県)の建物がえがかれている土器

唐古・鍵遺跡(奈良県)の建物がえがかれている土器

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