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第5章 弥生時代の社会

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2.祭祀と世界観

新しい支配原理となった祖霊信仰

弥生時代には他とは異なる豪華な副葬品や墳丘などを備えた墓が出現します。こうした墓のなかには、墓の周囲で祭祀が行われた痕跡が見られたり、墓と関係が深いと思われる場所から大型の建物跡などが発見されたりするものがあります。代表的な例が吉野ヶ里遺跡の北墳丘墓です。吉野ヶ里遺跡の北墳丘墓では中期後半に埋葬が行われなくなった後にも、墓に対する祭祀が行われていたことが確認されています。北内郭の主祭殿も墳丘墓と集落の南端に存在する南祭壇を結んだ線上に建てられており、墳丘墓を意識していたと考えられます。

図:主祭殿と北墳丘墓と南祭壇を結んだ線
主祭殿と北墳丘墓と南祭壇を結んだ線

主祭殿が建てられた弥生時代後期後半には、日本各地で大規模な墳丘を持った墳丘墓がつくられるようになり、これらの墓の周囲で祭祀が行われるようになります。前期末から中期初頭の福岡県福岡市吉武高木遺跡では、朝鮮半島製の鏡などの副葬品が出土した甕棺墓群が集中する墓域に面するような場所から、祭祀に関連すると思われる大型の掘立柱建物跡が発見されています。
特別な墓とその墓に対する祭祀は、弥生時代の前期末頃には北部九州地方に出現していたと見られます。こうした特別な墓とそれに対する祭祀の存在は、弥生時代の階層分化が、特定の死者(首長霊)に対する社会的な祭祀として現れてきたと考えられます。
弥生時代に新しく出現してきたこうした状況は、祖先祭祀の表れとみることができます。 重要なのは、こうした「祖先」に対する信仰を墳丘墓という形で首長制と結びつき、支配する側の人間に都合よく発展していったと考えられることです。

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