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 吉野ヶ里歴史公園

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スタッフ日記

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《更新日》 2005年10月31日

甕棺墓地の発掘調査

吉野ヶ里遺跡の発掘調査は、南部の確認調査を終了し、公園北部の国内最大級として知られる日吉神社南から北方へ約600m続く甕棺墓を主体とする大規模な弥生墓地で進めています。

この長大な墓地では、昭和61年(1986)に実施した日吉神社北の奈良時代駅路(切通し)から北約200mの区間の発掘調査で、甕棺墓698基などの弥生時代墳墓が発見され、昨年は、日吉神社のすぐ北の約50m区間で、甕棺墓275基などが発見され、中期後半(紀元前1世紀)の石蓋甕棺墓から女性人骨とともに中国製の銅鏡(前漢時代の「久(ひさ)しく相見(あいまみ)えず、長く相忘(あいわす)る毋(なか)らんことを」の銘文あり)や、奄美・沖縄以南で採集された貝殻であるイモガイで作られた腕輪36個が出土し注目されました。ちなみに、昭和61年以来の発掘調査で、この墓地からは、甕棺墓1383基をはじめとする計1591基の弥生時代墳墓が確認されたことになります。

平成17年度のこの墓地の発掘調査は、昨年に引き続き日吉神社の北方約350mの丘陵上でおこなっていますが、南北に延びる墓道の両側に整然と並ぶ甕棺墓群とその列から東西に広がる甕棺墓群が確認されています。一帯が昭和50年頃の水田造成の折に約1m削られていることから、甕棺墓などの遺構は上部を削り取られてしまっており、竪穴住居跡などの浅い遺構は床面も既に削られてしまい柱穴だけが残っている状況です。

後世の開墾などによって甕棺が破壊されず内部空間が保たれていれば、人骨や生前身につけていた衣服や装身具、剣や鏡などの青銅器、刀や剣などの鉄器、遺体に突き刺さっていた矢(鏃)や剣の刃先などが出土する場合があり、埋葬された人の生前の身分や、当時の染織・服飾文化などを知ることができ、当時戦いが頻繁に行われていたことを知ることができます。古来から「歴史の沈黙するところ、墳墓よくこれを語る」と言われる所以です。

この甕棺墓地の発掘調査現場では、現在100基以上の甕棺墓が出土しています。中には、人骨が残っているものもあり、昨年度に副葬例としては国内最古の鉄鎌や遺体の胸に突き刺さっていた石鏃などが発見されたことなどを考えると、新たな発見があるかも知れません。
土日や雨などで作業中止の火を除いて、見学者の方々に常時公開しながら作業を進めています。調査員が遺跡の内容や甕棺墓などについて直接説明いたしますので、是非発掘現場へお越しください。現代の日本文化の基礎を築き上げてくれた弥生人たちに思いをはせていただけることと思います。

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