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スタッフ日記

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《更新日》 2020年2月26日

【吉野ヶ里散策】北墳丘墓

「紀元前1世紀頃のお墓」

平成元(1989)年、3月。北墳丘墓の発掘調査が行われました。発掘早々、把頭飾付有柄銅剣と鮮やかなライトブルーに輝くガラス製の管玉が発見され、この副葬品は吉野ヶ里遺跡のイメージとなり、ポスターや数々の本の表紙に使われました。92年に2回目の調査が行われ、全部でかめ棺14基、銅剣8本、青銅製把頭飾2点、ガラス管玉79点、絹布片等が発見されました。ただし、この墳丘墓は紀元前2世紀頃から紀元前1世紀頃にかけてのお墓です。


          
銅剣・管玉出土のかめ棺墓

 

時々「墳丘墓のお墓の中に卑弥呼はいますか?」と質問される事がありますが、卑弥呼は2、3世紀の人物ですから吉野ヶ里の墳丘墓とは、年代が違います。吉野ヶ里の復元された集落は、集落が最大規模となった3世紀頃です。これは卑弥呼の年代に合います。




     
      公開されている北墳丘墓

 

つまり、墳丘墓が造られた頃は吉野ヶ里集落のピークではなく、吉野ヶ里集落が巨大化する途中のお墓なのです。

 それでは3世紀ごろの墓地はどこにあるのでしょうか。吉野ヶ里の周辺には、さまざまな副葬品を持った遺跡が数カ所存在していますので、そこにあるのではという説があります。これも、吉野ヶ里の大きな謎の一つなのです。

吉野ヶ里ガイド    福田幸夫
(2020年2月22日 佐賀新聞「吉野ヶ里散策」掲載)

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