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《更新日》 2019年7月10日
【吉野ヶ里散策】甕棺墓と前方後方墳
古墳人の気持ち伝わる
「吉野ヶ里遺跡の古墳はどこにありますか」と質問される事が時々あります。多くの場合、北墳丘墓を古墳と思われての質問のようです。いわゆる古墳時代に造られた墳丘を持ったお墓は古墳ですが、吉野ヶ里の古墳のようなお墓は弥生時代のものなので、墳丘墓といいます。墳丘墓の見学はぜひ行っていただきたい場所です。
ただ、まれに本当の古墳の質問の場合もあります。吉野ケ里遺跡は弥生時代だけの遺跡ではありません。実は古墳時代初頭の前方後方墳が4基も発見され、中には北部九州最大級のものもあるのです。ですが、残念なことに古墳の本体は近年の開墾などで失われてしまい、古墳の周りの周壕のみが発見されました。その発掘の際、私はあることが気になりました。それは、周壕の中に甕棺墓があったのです。甕棺墓と前方後方墳の間には数百年の差があります。でも、この古墳が造られる時、周壕を掘った古墳人は甕棺墓に気が付き、甕棺墓を壊さないように周壕をその部分だけ浅く作っていたのです。甕棺墓を壊すことをためらったのでしょう。当時の古墳人の気持ちが伝わる思いがしました。
吉野ヶ里ガイド 福田幸夫
(2019年7月6日 佐賀新聞「吉野ヶ里散策」掲載)