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《更新日》 2018年12月24日
【吉野ヶ里散策】聖域 北内郭(後編)
北内郭の主祭殿
卑弥呼思わせる主祭殿
かぎ型の板柵の間を抜けると、突然巨大な建物が現れます。誰もがその建物の大きさに「うわっ!」「おおっ!」と声を上げてしまいます。その建物は吉野ヶ里の復元建物の中では最も大きい「主祭殿」です。
主祭殿は一辺が約12㍍のほぼ正方形の建物で、柱は直径約50㌢のものが16本。高さ16.5㍍、2層3階建ての建物です。
そして、その周辺には物見やぐらが4棟、高床建物が3棟、竪穴住居が1棟建っています。
南内郭の竪穴住居を中心とした居住空間とは雰囲気が明らかに違います。しかも、北内郭のすぐ北側には墓地が迫っていて、何か特別な聖域とも言うべき場所に足を踏み入れたような感じがします。
魏志倭人伝には、卑弥呼の居するところ「宮室・楼観・城柵を厳かに設ける」とあります。北内郭そのもの、又は主祭殿が宮室、南内郭の巨大な物見やぐらが楼観、土塁の上のおびただしい柵が城柵とすれば、吉野ヶ里に卑弥呼が居たのでしょうか。いやいや邪馬台国問題はそう簡単ではありません。
しかし、魏志倭人伝に書かれた内容と符合するような遺構が発見され、しかもそれを具体的な姿として見せているというのは、吉野ヶ里の大切な意義なのだと思います。
発掘当時の主祭殿の柱穴
吉野ヶ里ガイド 福田 幸夫
(2018年12月8日 佐賀新聞「吉野ヶ里散策」掲載)