弥生人の声が聞こえる
 吉野ヶ里歴史公園

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吉野ヶ里遺跡の紹介

吉野ヶ里集落の変遷

吉野ヶ里遺跡は、弥生時代の前期~後期までを通じて、ムラからクニの中心集落-みやこ-へと発展していく過程が明らかになった遺跡です。

弥生時代前期の集落

H11年(1999)の発掘で、遺跡南端の丘陵上において吉野ヶ里遺跡最古の環壕らしい跡の一部が発見され、縄文時代晩期の水田農耕の伝来からまもなく、周辺の小規模農村の上に立つ環壕(※2)を巡らせた吉野ヶ里の草分け的な集落が形成された可能性が出てきました。
この集落は、弥生時代前期に2.5ha規模の環壕集落へと発展し、環壕跡内部からは、大量の土器や石器、有明海産のカキ・アカニシ・テングニシ・サルボウなど多数の貝殻や、イヌ・シカ・イノシシ類等の獣骨とともに、青銅器鋳造に用いた鞴(ふいご)の羽口や取り瓶などが出土しました。弥生時代前期のうちに、青銅器鋳造が始まったと考えられます。

弥生時代前期の集落

青銅器造具
▲青銅器造具
土器片
▲土器片
ブタ?の骨
▲ブタ?の骨
獣骨
▲獣骨

弥生時代中期の集落

弥生時代中期には南部の丘陵をすっぽり囲む推定20ha規模以上の環壕集落へと発展したと考えられています。
内部では、多くの竪穴建物跡や穴倉(貯蔵穴)跡が発掘されており、居住域と倉庫域が区別されていたとも判明しました。
また、環壕跡内部からは、大量の土器や石器が出土し、低地からは外洋航行船を模したと思われる船形木製品等が出土しています。
また、竪穴建物跡等からは青銅製の耳飾り(もしくは指輪)2点(一対)や、数点の朝鮮系無文土器(片)も出土しました。

弥生時代中期の集落

木製の容器類
▲木製の容器類
木製の農具
▲木製の農具
木製の祭祀具
▲木製の祭祀具

弥生時代後期の集落

弥生時代後期になると、集落は北方へと規模を拡大して、ついには40haを超す国内最大規模の環壕集落へと発展します。内部には物見櫓を備え、大型の祭殿をもつ首長の居住や祭祀の場と考えられる北内郭や、高い階層の人々の居住区と考えられる南内郭等、内環壕によって囲まれた空間が設けられ、西方には、吉野ヶ里のクニの物資を集積し、市の可能性もある高床倉庫群が設けられました。
環壕、城柵、物見櫓等の防御施設で堅固に守られた内部に多くの人々が集まり住み、その祭政の中枢である南内郭・北内郭が存在し、祭壇など祭祀の場を備え、青銅器や鉄器、木器、絹布や大麻布などの手工業生産や、各地の手工業産品や人々が集う交易の市が推定され、まさに弥生都市とも呼べるようなクニの中心集落へと発展した姿を見ることが出来ます。
吉野ヶ里歴史公園は、「弥生時代後期後半(紀元3世紀頃)」を復元整備対象時期としています。大切な遺構を壊さず土で保護した上に、弥生時代後期後半に同時期に建てられていたと考えられる建物を、当時あった場所の真上に復元整備しており、この地が最も栄えたクニの姿を体感することができます。

弥生時代後期の集落

南内郭
▲南内郭
北内郭
▲北内郭
北墳丘墓
▲北墳丘墓
  1. 『弥生時代の吉野ヶ里-集落の誕生から終焉まで-』
    出典:佐賀県教育委員会編2008転載
  2. 吉野ヶ里遺跡では「環壕」の「壕」はさんずいの「濠」と区別して標記される。
    これまでの調査から水が張られていた痕跡が認められないためである。

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