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 吉野ヶ里歴史公園

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吉野ヶ里遺跡の紹介

埋蔵文化財確認調査

昭和57年度に丘陵部、昭和61年度に水田部の調査をおこなった結果、埋蔵文化財が包蔵されていると確認された面積は約58.3ha判明しました。時期別の遺構の状況を簡単にまとめると以下の状況が判明しました。

旧石器時代 ナイフ形石器、台形石器、尖頭器が出土。包含層・遺構はほとんどのこっていない。
縄文時代 土器片が発見されていることより、遺構・遺物が存在する可能性がある。
弥生時代 前期から後期にかけての遺構・遺物が全地区で確認された。
前期では数軒の竪穴建物跡、甕棺墓を主体とする墓地、中期では竪穴建物群と甕棺墓群、後期では竪穴建物が確認された。
さらに、環壕を伴った大集落と甕棺墓を中心とする墓地群が予想される。
古墳時代 日吉神社付近に3基ほどの古墳状の高まりを確認。
6世紀の竪穴建物跡と全地区より須恵器、土師器などの遺物が出土しており段丘部や水田部の遺構が存在するものと考えられる。
古代 奈良時代の道路跡が確認され、周辺には当時の官衛的な性格をもった遺構・遺物が存在する可能性が高い。
中世 妙法寺跡推定地区で、溝・柱穴などの遺構や陶磁器などの遺物が確認された。
近世 志波屋四の坪地区北側で、墓地が確認された。

発掘調査前(S61(1986))の吉野ヶ里遺跡

▲発掘調査前(S61(1986))の吉野ヶ里遺跡
(『弥生時代の吉野ケ里‐集落の誕生から終焉まで‐』佐賀県教育委員会編2008より)

確認調査結果に基づく調整

文化財の確認調査の結果、工業団地計画と文化財保護との調整が進められ、工業団地の規模は、当初計画では約80haでしたが、区域内の文化財保護について協議が重ねられたが、県として工業団地の必要性から、文化財包蔵地を最大限に緑地に取り組むことで、後に67.7haとして、レイアウトの変更がなされました。

埋蔵文化財包蔵地は36haとなり、うち6haを文化財保存緑地とし、30haについては記録保存ための発掘調査を実施して保護を図ることとしました。

発掘調査の準備

発掘調査面積が30haと確定した後、取り急いで本格調査の準備が進められました。調査期間はS61年度~63年度の3年間とし、その後の2年間で資料整理を行うとしました。実際に、調整を、開始できる状況になったのは、S61年5月下旬からとなりました。

調査区域の設定と調査の方法

約30haに及ぶ調査区を3年間で調査するにあたり、調査方法としては遺跡を覆っている表土等の堆積土を調査委員立ち会いの下で、バックフォーやブルドーザー・ダンプトラックを用いて除去・運搬を行いました。調査の過程や完全に発掘された遺構は写真に記録するとともに実測され、出土した遺物は水洗、注記、選別、接合復元を行い、実施図の作成などとともに整理・記録されました。

出典:『吉野ケ里』佐賀県教育委員会,1994

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