ホーム > 吉野ヶ里遺跡の紹介 > 北墳丘墓 ~歴代の王の墓~
吉野ヶ里遺跡とは
昭和10年以前の吉野ヶ里遺跡の研究
昭和20年代以降の状況
神埼工業団地の開発計画
埋蔵文化財確認調査
吉野ヶ里遺跡関連年表
吉野ヶ里の歴史
吉野ヶ里集落の変遷
墓地
吉野ヶ里遺跡の終焉
弥生時代以外の様子
復元建物紹介
環壕入口
南内郭 ~王や支配者層が住んでいた場所~
北内郭 ~まつりごとの場所~
北墳丘墓 ~歴代の王の墓~
甕棺墓列 ~一般の人々の墓地~
中のムラ ~祭り・政治・儀礼などの道具を作る場所~
倉と市 ~倉庫群、市も開かれていた~
南のムラ ~一般の人々の居住地~
発掘について
遺跡の保存方法
1.基礎調査の実施
2.復元建物等の基本設計、実施設計の検討
古代の森
吉野ヶ里遺跡の植物
吉野ヶ里遺跡から出土した木製品
吉野ケ里での森の移り変わり
生態移植による森づくり
生態移植のねらい
奈良時代の官道
弥生Q&A
くらし・食べ物編
くらし・生活編
環境編
遺物編
建物編
地形編
歴史編
マスコットキャラクター
アンケート
吉野ヶ里集落の歴代の王が埋葬されている特別なお墓と考えられています。このお墓は人工的に造られた丘で、違う種類の土を何層にも積み重ね、しっかりと突き固められて造られており、とても丈夫な構造になっています。中からは14基の甕棺が見つかり、ガラス製の管玉や有柄把頭飾銅剣が一緒に収められているものもありました。このお墓は弥生時代の中頃、紀元前1世紀のものですが、その後はお墓としては使われなくなり、その代わり祖先の霊が眠る場所として人々から大切にされていたようです。
▲北墳丘墓内部展示状況
ページの先頭に戻る