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 吉野ヶ里歴史公園

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吉野ヶ里遺跡の紹介

集落

吉野ヶ里環壕集落の南端に位置する南のムラは、北内郭や南内郭に住む「大人」(支配者層)の暮らしを支える「下戸」(庶民)が暮らす場所でした。

当時、200人程度の「下戸」たちが暮らしていて、集落の両側を流れる田手川、貝川の周囲にあった水田、丘陵の緩斜面上にあった畑や果樹園での農作業を中心とした生活を送っていました。

ここで生産された作物は吉野ヶ里環壕集落の住人たちの食糧となっていました。
こういった食糧生産のほかに、生活に必要な様々なものを作る道具づくりや、両河川を通じて運ばれてくる様々な物資の荷揚げなどが行なわれていました。

また南のムラの人々は様々な生産活動のほかに、吉野ヶ里の支配者層の世話をするという大事な役割を担っていました。例えば、南内郭に住む支配者層の食事の世話をすることや、南のムラにある祭壇での祭祀を補助する役割がありました。そのため、南のムラには支配者層の食糧や道具類などを保管しておく大型の倉庫や、祭壇のそばの住居や倉庫がありました。

このように、南のムラの住人たちは水田や畑での農作業を中心としながら、農閑期や必要に応じた手工業生産、それから支配者層の世話をするという大変忙しい日々を送っていたのです。

南のムラには東西にある谷に沿った大規模2つの集落があって、そこには40数棟の竪穴住居と10数棟の高床倉庫がありました(現在復元されているのはそのうちの西側にある1つの集落の一部)。
これらは、竪穴住居3~4棟と高床倉庫1~2棟程度でまとまった単位を形成しており、そういったグループが10数個ありました。

このグループは一つの倉庫(財産)を共有する血縁関係をもった大家族であり、家長を中心とした生活を送り、農作業や手工業生産などの様々な作業も基本的にはこの単位で行っていました。