弥生人の声が聞こえる
 吉野ヶ里歴史公園

  • ENGLISH
  • 韓国語
  • 中国語
  • 文字サイズ
  • 文字サイズを大きくする
  • 文字サイズを小さくする
  • 文字サイズをリセットする

ホーム > 吉野ヶ里遺跡の紹介 > 南のムラ > 祭壇

吉野ヶ里遺跡の紹介

祭壇

「南のムラ」の南部には基壇状に土を盛った祭壇があります。

この祭壇は現在の「南のムラ」が形成されるずっと以前の弥生時代中期前半頃に造られています。
造られる祭にはそれ以前にここにあった竪穴住居が一気に埋められ築造されていますが、これは吉野ヶ里環壕集落の最北端のある北墳丘墓と時期、築造方法ともに共通しています。

しかし、この両者は造られた時期や方法は共通していますが、その性格は全く異なるものでした。

すなわち、北墳丘墓は吉野ヶ里環壕集落を築き上げた支配者たちの墓として作られていたのに対し、この祭壇は墓として用いられることはなかったのです。

この祭壇では弥生時代中期頃に盛んに祭祀が行われていましたが、弥生時代後期後半になると祭壇の周囲には2重の溝が掘られ、祭壇の存在がさらに強調されています。

祭壇の周りに溝が掘られた時期は「北内郭」や「南内郭」が完成し、吉野ヶ里環壕集落の機能が明確化する時期です。
さらには北墳丘墓とこの南祭壇とを結んだ線が、吉野ヶ里環壕集落の最も重要な軸線であることは先に述べた通りです。
弥生時代中期に支配層の墓として作られた北墳丘墓は、その後、吉野ヶ里の「クニ」の始祖王(祖霊)の眠る墓として崇められ、「クニ」の祭祀の対象となっていきました。

そして、この祭壇には吉野ヶ里環壕集落の土地神(精霊) (穀霊)が祀られ、豊作などを祈る対象とされました。西集落の中にはこの祭壇での祭壇を行なう際の供物を収めておく建物があり、また巫女たちのもとで祭祀を手伝う者もいました。