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 吉野ヶ里歴史公園

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吉野ヶ里遺跡の紹介

吉野ヶ里環壕集落における南のムラ

吉野ヶ里の「国の中心であった吉野ヶ里環壕集落は弥生時代のはじめ頃に丘陵の最南端に吉野ヶ里の発祥となる草分け集落が築かれ、次第にその規模を拡大していくとともに「クニ」の中心地として体裁を整えていき、弥生時代後期後半頃にその最盛期を迎えました。

その集落構造は、当時の中国から伝えられた暦や方位の概念に影響を受けた「北上位、南下位の軸線構造」「夏至の日の出、冬至の日の入りの方位)などといった概念のもとに、集落の最北端に吉野ヶ里の始祖神としての祖霊を祭る北墳丘墓、そして最南端には土地神(農耕神)などの精霊を祭る祭壇を置き、この南北の境界域に置いた祭祀施設が集落を形作る上での基本な軸線となっています。
この軸線上には唯一「北内郭」があり、北墳丘墓や立柱と一体となり、吉野ヶ里の「クニ」の宋廟として「クニ」の祭祀が行なわれています。

さらに、吉野ヶ里では宗廟での「クニ」の祭祀が行われていると同時に、これらの祭祀を背景とした政治・行政的活動や経済的活動も行われています。

そのため、吉野ヶ里環壕集落内には、政治・行政的活動の中枢であると同時に支配者層の生活空間でもある「南内郭」、吉野ヶ里の「クニ」の経済の中心となり租税や収納や「国」をあげての市が開催される「倉と市」が置かれています。

このように、弥生都市吉野ヶ里では祭祀を背景とした支配者層による政治・行政・経済的な活動が行なわれており、それら支配者層の生活の基本を支えていたのが環壕集落の南端に住む「南のムラ」の人々でした。