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 吉野ヶ里歴史公園

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吉野ヶ里遺跡の紹介

南のムラの居住者達の性格

南のムラは、最も一般的の集落に近いムラであり、その居住者達も一般身分であった可能性が高いです。ただし、他の集落とは性格を異にする吉野ヶ里環壕集落内に居住していたことを考えると、「国」社会では比較的高い位置にいるが、一方、吉野ヶ里環壕集落内では大人層に従事する役割があったと考えられます。
伊勢神宮の古記録にみえる神官達の下で雑役に従事する役割を担った「戸人夫(へびと)」のような役割の人々であったことが考えられます。

南のムラは一般的身分層(下戸層)の人々の生活の場であったと考えられます。
ここでは他の一般のムラの同じく農業労働に日々従事している人々の季節ごとの生活の様子が展開されていたと思われます。土器、農具、カゴなど身のまわりの日用品のほとんどはムラの人々が自らの手で制作し、秋の収穫の後には女性達が臼と杵で脱穀を行う姿もみられたことでしょう。東門の付近に市が立つ時には他のムラからも人々が集まり、様々な品物の交換が行われたと考えられます。
市では古来、裁判の行われることも多く、時には支配者層(大人層)の人々により裁判が執行される時もあったと想像できます。祭りの時には南内郭同様、各家ごとに儀式が行われ、儀式の後には歌舞飲食を伴う宴会がムラの広場で盛大に行われたことでしょう。