弥生人の声が聞こえる
 吉野ヶ里歴史公園

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吉野ヶ里遺跡の紹介

発掘調査

S63年度に神埼工業団地計画にかかる発掘調査を実施。その後、H元年以降、H15年度にかけて、確認調査が実施されました。

弥生時代前期

段丘尾根の南端に溝に囲まれた集落が形成されました。段丘周囲に散在する集落群に対して主導的立場を持つ集落であったと考えられます。
弥生時代前期前半には、広さ約2.5haの環壕集落が形成されます。環壕内から発見された鞴羽口・取瓶・銅滓は、弥生時代前期から青銅器鋳造が開始されていたことを裏付けました。

弥生時代中期

多数の竪穴建物と穴倉からなる居住域と、西方緩斜面には倉庫群が営まれ、後者は、居住区内の穴倉群とは別に、集団が管理する集落全体の倉庫群といった意味合いが強いものと考えられます。
この時期の竪穴建物跡や穴倉跡からは、弥生土器や朝鮮半島系磨製石器に混じって、朝鮮系無文土器が多く出土しました。
弥生時代中期前半には、檀上遺構の北西隅付近には、青銅器鋳造工房が設けられ、銅剣、銅矛が製作されたことが、炭化物と灰が交互に堆積し、溝状の土壙の内部からは、銅剣・銅矛鋳造型や、銅滓などが出土しています。
中期後半になると、数は減少するものの、中期中頃までの居住域に継続して、竪穴建物が営まれますが、穴倉は姿を消し、変わって西段丘部裾部に、堀立柱形式の高床倉庫が営まれます。

弥生時代後期

弥生時代後期になると、段丘西の裾部に大きな環壕が掘削され、その内部に集落が営まれ、先代まで居住区となっていた地域の周囲に竪穴建物と高床倉庫からなる集落が形成されます。前期に環壕によって囲まれ区域に営まれた中期の集落中心部は、広大な空閑地となったようです。また、外環壕の外側に多数の堀立柱形式の高床倉庫が営まれます。
弥生時代後期後半~終末期になると、後期前半に比べ、竪穴建物と、堀立柱建物が増加し、祭壇跡と考えられる檀上遺構を取り囲むように溝が設けられます。その時期は、北内郭や南内郭に新たな環壕が設けられ、それら空間が明確に区画された時期と一致しています。
竪穴建物跡は、全体が完全に依存しているものがほとんどなく、形態的な特徴を述べることは困難ですが、2個の主柱穴と中央に炉、壁際土壙・壁際小溝・ベッド状の遺構等を備えていたものが多いと考えられます。規模としては短辺、3.52m~6.98m、長辺、3.50m×8.10mとなっています。
堀立柱建物の殆どは、高床倉庫と考えられる者で、1間×2間規模の建物跡以外は、1間×1間規模のもので占められます。
公園整備としては、この弥生時代後期後半~終末期にかけて、同時存在の可能性が高いものを選別し、形態についても他地区を含めた既発掘資料との比較を進めて、復元することとしました。

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