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 吉野ヶ里歴史公園

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吉野ヶ里遺跡の紹介

発掘調査

倉と市(西方倉庫群)の辺りは、S63年度、H9年度、H11~12年度にわたり発掘調査が行われました。

弥生時代中期前半までは、貯蔵形態の主流は穴倉でしたが、弥生時代中期中頃を境に、堀立柱建物の高床倉庫へと変化することが、発掘調査の結果判明しました。
特に、「南のムラ」の辺りに存在した穴倉跡群は、中期後半のものはほとんど見あたらず、変わって、この「倉と市」のあたりで、高床倉庫群が確認されました。

弥生時代後期初頭~後期前半には、吉野ヶ里全体を囲む大規模な環境が設けられ、集落が大規模化する過程で、集落の中枢部が北側へと移動したのに伴い、高床倉庫を主体とした倉庫群も、後の南内郭の西方の外環壕の外部に移送した物と考えられます。

弥生時代後期後半~終末期には、南内郭の西側の外環壕の跡と、丘陵の裾の壕に囲まれた、南北約200m、東西150mの約3.5haの空間に、高床倉庫と考えられる堀立柱建物跡群が、少数の竪穴建物跡とともに存在していました。この期間には、2~3回の建て替えがあったと考えられ、同時に20数棟の高床倉庫と数棟の竪穴建物が建ち並んでいたものと考えられます。
中央部には、倉庫以外の機能をもった、9本柱、12本柱の大型の建物があり、倉庫群やこの空間を管理するような重要な建物の跡と考えられます。また、建物群の間には、広場と考えられる遺構空白地や、道路状の空間が存在していました。
この大規模な倉庫群は、吉野ヶ里集落のみならず、吉野ヶ里のクニ全体の物資を納めた大規模な倉庫群であり、かつ、市場の機能を持つ空間であったと考えられます。