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 吉野ヶ里歴史公園

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ホーム > 吉野ヶ里遺跡の紹介 > 北墳丘墓 > 二つの中軸線

吉野ヶ里遺跡の紹介

二つの中軸線

集落の中軸線となる南北軸

吉野ヶ里遺跡では弥生時代中期前半に北墳丘墓、南祭壇が築造されます。北墳丘墓と南祭壇はそれぞれ集落の北端と南端域に位置しており、中期後半の終わり頃から後期の前半にかけて作られた外環壕は北墳丘墓、南祭壇を意識して掘られたと考えられます。

北墳丘墓、南祭壇を結ぶ空間が環壕集落形成の計画空間になっていたとみることが可能です。さらに北墳丘墓と南祭壇の中心を結んだ線は北内郭の主祭殿の中心を通り、同じ線上に北墳丘墓前面の祠堂、立柱が並びます。

これらのことから、この線は集落の聖なる中軸線とも言うべき重要な線であったと推定できます。

集落の中軸線となる南北軸

夏至の日の出、冬至の日の入りと一致する北内郭の中軸線

北内郭の中軸線は夏至の日の出、冬至の日の入りの線と一致することが確認されています。

北内郭は北内郭と南祭壇を結ぶ集落の中軸線と夏至の日の出、冬至の日の入りを結ぶ線と、二つの重要な軸線が交差する場所です。

北内郭の中軸線

【集落内の三つの地域と北上位、南下位の空間観念】

復元対象時期である弥生時代後期後半から終末期の環壕集落内の空間は集落北部の「北墳丘墓と北内郭の地域」、中央部の「南内郭の地域」、南部の「南のムラと南祭壇地域」、に大きく別かれています。
これらの空間配置は北により聖約、祭祀的性格の強いものを配し、南に世俗的、生活的なものを配しており、「北上位、南下位」の空間観念に基づいていると考えられます。

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北墳丘墓と北内郭の地域(吉野ヶ里環壕集落の祭政の中心、宋廟)

中期前半に築造され、後期後半に至るまで祭祀の対象となっていた北墳丘墓と二重の環壕で囲まれ、その内部に建物の中心を北墳丘墓の軸線と合わせた弥生後期の大型堀立建物(主祭殿)を置く北内郭が存在します。
北内郭はこうした象徴的な大型建物の存在や区画の閉鎖性、祭祀関係の遺物の出土等から祭祀の中枢施設と考えられます。

北墳丘墓の前面には北墳丘墓と南祭壇の中軸線を結ぶ線上に並ぶ小規模な堀立柱建物(祠堂)と立柱も存在します。南墳丘墓が墳墓ではなく祭壇であることが明らかになったことから、北墳丘墓が環壕集落内で唯一の祖霊を祀る場であったことが確認されました。

これらのことから、この地域は集落内で最も祭祀的性格の強い(ハレ)の場であり、祖霊を祀る宗廟であったと考えられます。

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