弥生人の声が聞こえる
 吉野ヶ里歴史公園

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吉野ヶ里遺跡の紹介

家族の居住形態

古代日本の家族制度については様々な研究が成されていますが、未だ不明な点が多いです
戸籍・計帳が家族の実体を反映しているとする説(夫婦と子供を基本とする核家族的家族)、社会人類学的な親族名称体系から双系制であるとする説、歴史民俗学的立場から父系制であるとする説、反対に母系制であるとする説、また、文化人類学的に単婚的家族が世界的に家族の基本であるとする説などです。

また考古学の立場から、弥生時代後期の近畿地方では同じ文様、制作手法の土器が広範囲にわたり分布しており、ここから土器の製作者である女性の移動すなわち嫁入りが推定でき、父系的外婚制の社会であったとする説もあります。

『万葉集』や『古事記』『日本書紀』の記述から、古代日本の婚姻は夫婦別居の妻問婚であったとする説が通説化しています。ただ、「ツマ」は本来一対の男女の片方を指す言葉であり、『万葉集』には、女性の妻問婚も少数ながら書かれています。

『魏志』倭人伝には「父母兄弟臥息異処」という記述があります。これには様々な解釈が可能ですが、「父母」とおそらくは結婚している兄弟が別々に住んでいるという解釈が最も一般的です。

また、「大人皆四五婦 下戸或二三婦」という記述があり、一夫多妻制であったことが描かれています。しかし多くの民族・民俗事例で二人以上の妻を持っているのは経済的に余裕のある階層の男性に限られていることから、倭人伝の下戸に対する記述は「下戸も二、三人の妻を持つ」ではなく「下戸のなかにも二、三人の妻を持つ者がいる」と解釈するのが妥当であるとされています。『記紀』などによると、姉妹で同じ夫に稼ぐ「姉妹連婚」も存在したようです。

これに対して民俗学と古代文献の解釈から古代日本は多夫多妻の社会で夫婦関係が固定していなかったとする説もあります。

弥生時代の竪穴住居は基本的に構造やサイズが同時期のものはほぼ同一です。これは吉野ヶ里遺跡でも同様です。これは各竪穴住居にそれぞれ類似した家族構成の人々が住んでいたことの反映と捉えられます。

祖霊祭祀の出現という背景には父系ないし母系の血縁をある程度たどることが支配者層では行なわれていたと想定され、非単系出自集団を基礎としていたことが想像できます。