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 吉野ヶ里歴史公園

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吉野ヶ里遺跡の紹介

発掘調査

南内郭発掘調査中写真

▲南内郭発掘調査中写真(版権:佐賀県)

南内郭一帯はS62、S63年度にかけてとH14年度末に実施された再発掘調査より、その概要が明らかになりました。
この地区は発掘前までは畑地としての土地利用が盛んにおこなわれていたために削平が著しく、特に南部については遺構確認に困難を極めました。

南内郭の南部は後世の著しい削平のため、遺構の確認が出来ませんでしたが、多数の土器群が出土していることから、現在復元整備されている建物よりもさらに多くの竪穴建物などの施設が存在していた可能性が高いと考えられます。

吉野ケ里歴史公園は弥生時代後期後半を復元対象としていることから、この南内郭についても遺構の分布状況や重複関係、近接度、出土遺物などから、弥生時代後期後半~終末に同時に存在したと推定される遺構を抽出して復元されています。
しかし弥生時代前期から中期、後期へと徐々に次のように集落がつくり変えられてきたことが明らかとなっています。

弥生時代前期末~中期初頭には北部と南東部で竪穴建物と穴倉からなる集落が営まれますが、その間の段丘尾根部は削平がひどく、両者が同一集落であったかどうかは不明です。また、この時期に、東部方向尾根上の南部で甕棺墓や土壙・木棺墓による埋葬が開始されました。

弥生時代中期前半には墓域を北へ拡大し、中期後半まで列状に埋葬が継続されました。
弥生時代中期前半から後期初頭にかけての竪穴建物も、ほぼ同じ区域を中心に幾つか存在し集落は継続していたと考えられます。

弥生時代後期初頭になると、外環壕が掘削され、その内部の段丘上に竪穴建物はその内外に営まれました。
物見櫓を伴う内壕が掘削され、弥生時代後期後半まで、竪穴建物はその内外に営まれました。

弥生時代後期後半から終末には内壕の範囲が拡大して、平面角丸長方形に近い区域を囲むように掘り替えられ、西と北にそれぞれ1箇所の計4箇所の物見櫓を配した空間が形成されました。
弥生時代後半には外環壕と内壕の間の空間にも存在していた竪穴建物の大半はなくなり、一部を除き、内壕内に集中して存在するようになりました。

弥生時代の終末期になると、内壕、外環壕とも埋没し、一帯の竪穴建物や高床倉庫群は存在しなくなり、古墳時代初頭になると、内壕の南東部に重複し、さらに南方には前方後円墳や方形周溝墓群が築造され、弥生時代末まで高床倉庫群が存在していた外環壕西側に竪穴建物を主体とする集落が営まれました。